ゆ き と の 書 斎

2010年8月23日 BBSへのレスなど。


ご心配おかけしております。
今回のトラブルも長引いてきたので、初めて来た人のためにまとめページを作らなきゃならないかな〜と思いつつ、だるいのでほっておいた。
そしたら記事になってますね。↓

セリフの表現規制が原因で「銃夢 LastOrder」、集英社ウルトラジャンプから講談社イブニングへ移籍か-GIGAZINE

まとめページ作る手間が省けました。
ちなみに、記事の中にあるウルジャンの目次コメントはトラブルが起きる以前に言ったものです。

以下、銃夢BBSへのレス。

>ミサイルライダーさん
> 講談社側は今回の事の発端や
> やりとりの内容は知ってるんでしょうか
> また講談社にも法務部なるものがあるとして
> 講談社が自社発行としてみた場合同じ
> 箇所についてどういう見解を持ってるんでしょうかね?
> あと新装本回収とありますが
> どれくらいのコストが予想されるんでしょうか?

講談社は当然今回の件は知っています。
そしてゆきと帳にも書いたように、僕自身が17日(火)に講談社イブニング編集部におもむき、詳しく説明しました。
講談社が今回の問題表現とされた箇所にたいしてどういう見解を持っているか、僕自身もそこが一番気になるところだったので聞いてみました。
個々のケース別に判断する、ということでしたが、少なくとも今回集英社で問題になった箇所については大丈夫、のような感触を受けました。
(もしこれが僕の勘違いで、講談社でも「発狂・サイコ野郎」は発売できません、となるようだったら移籍はやめます。)
また、表現問題が発生したときは講談社は法務部を通さずに現場の編集部で判断するそうで、対応の一貫性や問題発生時の交渉もしやすそうに思えました。
本が回収される場合のコストは知りません。


>エーリカの微笑みさん
>既に公表済み作品を、作者の承諾無く改ざんするのは、明確な著作権の侵害であり

承諾はしました。
ただフェアな状況ではなかったので、撤回を求めています。

>先生が法務部に屈するとね、ガリィがムバディに降伏するようなものじゃないのかな。

(笑)…ウルジャンの銃夢LO100話読んだ人は分かると思いますが、なんか今回のトラブルを暗喩したようなエピソードなんですよ。
シンクロニシティなのかなぁ…。
コミックス派の人はすいません。いつ出るかわからない16巻を待ってください。


>ベーグルさん
>問題が起きた場合、これは先生自ら対応される覚悟なのでしょうか?

表現者が名前を出して表現したものに対して責任をとるのは当たり前じゃないですか。
プロならなおさらのことです。
20数年前からそのように周囲に公言し、矜持と覚悟を持って仕事してきました。

ただ、現実には問題が起きたときは出版社に迷惑がかかることも承知しております。
だから制作段階では問題になりそうな表現が出てきたときは柔軟に対応しております。

実例を挙げますと、銃夢LO100話でもそういうことがありました。
100話のネームを書いている最中(5月下旬)のことです。
「私にちょっかいを出すな!!」というガリイのセリフが劇中にあるんですが、ふと「ちょっかい」っていつも使ってるけど、語源はなんなんだろう?と思って広辞苑で調べてみました。
すると、
1,まがって萎縮した手。
2,相手の腕や手をののしっていう語。
3,猫などが前の片足で物をかきよせること。
4,横合いから干渉すること。
とありました。
差別的な意味があったとは知らなかったので驚いて、メールで編集部に使っていいのかどうか問い合わせました。
数日後、法務部の見解では「問題なし」と伝えられたので、そのまま使用しました。
もし「問題あり」だった場合は、「私にかまうな!!」か「私に手を出すな!!」にしようと考えていました。

以上のように、僕は発表前の作品はまだ固まってない粘土のような物だと考えているので、納得すれば変更には応じます。
しかし発表され印刷され発売された作品は焼き固められた陶器のように完成しているので、抵抗感があるのです。

ちなみに、「銃夢」はYJコミックス版が発売されて19年、完全版が発売されてから10年が経っていますが、過去読者から表現上のことでクレームが来たことは一度もありません。これは集英社法務部も認めています。

また、「今回変更されたセリフは内容が変わってしまうほどのものでもない。そんな小さなことに何をごねているのか」という考えの方もいると思います。
これは歴史の流れを意識してもらいたいと思います。
つまり、10年前はなんの問題もなく発行できた「発狂、サイコ野郎」という言葉が現在はNGとされた。
ということは、5年後、10年後には今は大丈夫とされている「狂気、狂っている」という言葉もNGとなる可能性がある。
集英社法務部は「そんな事はない」と言っていましたが、論理的裏付けがまったくない言葉なので信用できません。

上の方で「表現者は自分の表現に責任をとるのが当然だ」と書きましたが、自分の表現を守るのも最終的には表現者自身なのです。
必要なときには、戦わなければならない。
ふだんから僕はそう公言してきたし、作品の中でもそう描いています。

…まあ、その戦いのまきぞえをくらって好きなマンガが読めないファンの皆さんには、申し訳ない気持ちでいっぱいです。