ゆ き と の 書 斎

す ぱ ら し き 映 画 た ち

第 3 回

ハイランダー 悪魔の戦士

1986年アメリカ・イギリス 監督:ラッセル・マルケイ 主演:クリストファー・ランバート

男による、男のための映画である。
ほ乳類におけるオスとは、基本的に配偶者を得るためにライバルと戦い、子孫を得たのちは妻子を守るために戦い、用がすんだら死ぬように設計されている。
人間においても同様。
なにかのために殉じて死ぬことこそ男の本望であるといえる。
しかし、もしその戦士の本質に不老不死が与えられてしまったらどうなるのか。
逆説的だが、男の戦士としての欲望と人間としての孤独が際だつだろう。もはやなにかに殉じて死ぬことすら許されない。永遠に続く戦いは、ただひとり残るまで続けられる…。
「ハイランダー」はそうした荒唐無稽な設定を、詩情あふれる映像とQueenのサウンドで描く、ロック・ファンタジーである。
16世紀のスコットランド、ハイランダー(高地人)であるコナー・マクラウド(クリストファー・ランバート)は戦で命を落とすが、生き返る。悪魔の使いとして一族を追放されたコナーは恋人ヘザーと共に、平和な隠遁生活を送っていた。
そこへスペインの騎士ラミレス(ショーン・コネリー)が現れ、自分たちが不老不死の超人であること、超人は首をはねられない限り死なず、最後のひとりになるまで戦い続ける運命にあることを教える。
ラミレスとコナーは無二の親友として、また剣の師弟として共に過ごす。
しかし平和な時は長く続かず、コナーの留守中に超人の中でも最強の黒騎士クルガンが現れ、ラミレスとヘザーを襲う。
ラミレスを失い、年老いたヘザーを看取ったコナーは、師の形見である日本刀を手に、各地、各時代を転々と放浪する。
そして現代、ニューヨーク。宿敵クルガンと最後の生き残りをかけた戦いが始まろうとしていた…。
ストーリーは時系列順に語られず、コナーの回想を通して現代と過去を縦横に行き来する。そのテンポと映像のスケール感、構図の冴えとカットとカットのつなぎの妙味はMTVビデオでならしたラッセル・マルケイならでは。この構成の方法は僕の漫画も大きく影響されている。
そして「ハイランダー」を語る上で欠かすことができないのがイギリスのロックバンド、Queenの名曲の数々。アルバム「ア・カインド・オブ・マジック」には歌詞の対訳もついており、合わせて読むと感動がいや増すこと請け合いである。
続編の作りようがないようなエンディングを迎えたのにもかかわらずムリヤリ続編が作られ、1作目を台無しにする「ハイランダー2」、原点回帰を試みた「ハイランダー3」、さらに外伝的なTVシリーズまで作られているが、僕に言わせればこれらは「ハイランダー」の名を冠するに値しない。
また、民放TVでの放映も何度かされているが、細部の重要な描写がばっさりカットされてしまっている。「ハイランダー」は細部の描写がすべて、筋はどうでもいいと言っても過言ではない作品なので、民放TV版も「ハイランダー」の名を冠するに値しないと言えるだろう。
もし、不幸にもこれら続編や民放TV版を先に観てしまい、失望した方がいたら、ぜひビデオまたはDVDを観てほしい。